2013年10月10日木曜日

バージニア・ボーエン宣教師が召天なさいました

戦後の占領時代に保守バプテストの宣教師として来日し、宮城県の石巻市と東京都の町田市に住まわれたバージニア・ボーエン宣教師が米国西海岸時間10月9日午後1:30ごろ召天なさいました。

ボーエン宣教師は石巻聖書バプテスト教会と松見が丘キリスト教会の開拓宣教師の一人でもあり、聖書を読む会の創立者の一人でもあり、KGK(キリスト者学生会)の協力宣教師でもありました。退職後米国オレゴン州のコーバリス市に住み、1998年に同州のマクミンビル町のヒルサイド・コミュニティーに移転しました。そこで長年の同労者であったロレーン・フライシュマン宣教師とともに去年まで住みました。また、同じ施設内には、昔石巻の開拓の時に供に労をしたコール・フランク宣教師(私の父)もいます。

十年前の脳梗塞が原因で少しずつ健康が衰え始めていたボーエン師でしたが、去年から急激に悪化し、部分的なケアーを提供する施設に移り、今年の夏に完全看病の病棟に移りました。話をする能力も衰えていて、フライシュマン師が一週間前に「何か話したいことある。」と聞くと、小さな声で「あるけれど、複雑過ぎて話せない。」と言う返事でした。これが彼女の最後の言葉でした。そして、9日に平安の内に静かに去っていきました。

現時点では、記念礼拝の詳細などはまだ決まっていませんが、このブログを利用して、ボーエン宣教師の思い出や主が彼女を通してなさったことなどを分かち合うスペースにできればと思います。また、フライシュマン師からの情報が入りましたら、ここで掲載させていただきます。どうぞご自由にコメントなどをお書きください。フライシュマンさんもここを見て慰められるに違いないと思います。有難うございます。(コール・テモテ)

1962年ごろの石巻聖書バプテスト教会
今年の9月上旬のマクミンビルでのコール師、フライシュマン師、ボーエン師

12 件のコメント:

  1. ボーエン先生は、聖書を読む会の働きが「聖書を読む会」と呼ばれるようになる前から、グループ聖研普及活動と手引制作を通して、日本人の救いのために尽力してこられました。最近、「基礎の学び」の今後の出版のために親しくやりとりをしていたばかりでしたので、神様の計り知れないタイミングとはいえ、もっと、今後の聖書を読む会の働きを見守り、励まし、お祈りいただきたかったです。特にフライシュマン先生をはじめ、ボーエン先生とともに労され親しく交わってこられた皆様の上に主からの慰めをお祈りいたします。

    聖書を読む会 主事会

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  2. KGK副総主事の高木実と申します。私の学生時代1977〜81年にボーエン先生はKGK主事(そして協力主事)としてご奉仕しておられました。それほど個人的に親しくお交わり頂く機会があった訳ではありませんが、KGKの地区活動などで何回かご一緒しました。
    大学1年生の時のグループ聖書研究訓練会では、講師がフライシュマン先生でしたが、私のグループ聖研の基礎と原体験となっています。ボーエン先生とフライシュマン先生はいつもご一緒だったという印象があります。それまで余り宣教師の方とのお交わりの機会のなかった私にとって、お二人のお優しく、かつ凛としたお姿はとても印象的だったと今も記憶に残っています。
    長く日本の宣教のため、KGKの学生伝道のため、ご奉仕下さった先生の訃報に触れて、寂しさを禁じ得ませんが、先生のご奉仕あってこその今のKGKなのだ、と改めて感謝の思いを抱いています。
    お写真でフライシュマン先生のお姿も拝見できて嬉しく思っています。
    主の慰めをお祈り致します。
    高木実

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  3.      敬愛するボーエンさんの召天の報に接して       油井義昭
     ボーエンさんと初めてお会いしたのは、1974年4月のKGK関東地区主事会の時です。
    小生は1974年から1977年3月までKGK関東地区学生担当主事としてボーエンさんフライシュマンさんと共に奉仕出来たことを大変嬉しく思っています。ボーエンさん、フライシュマンさんはKGKの働きの前には、保守バプテスト宣教団の宣教師として、宮城県石巻市の石巻聖書バプテスト教会の教会開拓と教会奉仕に従事していたと伺いました。
     KGKの主事時代、ボーエンさんがKGKの女子学生達に、特に女子学生の求道者に対する個人伝道の一環として聖書の基礎の学びをしていたことが強く記憶に残っています。基礎の学びをしながらの個人伝道のエキスパートの一人だったと思います。主事会でも深い思索からの一言に教えられることが多かったです。日本人に対するアプローチの仕方も適切で、女子学生達に慕われていました。ボーエンさんはフライシュマンさんと共に、後に、「聖書を読む会」と立ち上げ、米国のNeighborhood Bible Studiesの翻訳をして、聖書を読む会のテキストが諸教会の婦人会や有志の聖書の学び会に貢献し、かなりのクリスチャンが教会や聖書を読む会や学内聖書研究会の中で、自分で聖書の本文をじっくりと読み、考えつつ、聖書をグループで学ぶ事が出来ました。「聖書を読む会」の働きは、KGKと諸教会に貢献しました。「基礎の学び」は求道者の入信の良いテキストとなったと思います。ボーエンさんは物静かな思索的な、そして一言あるアメリカ人宣教師でした。「聖書を読む会」の婦人達を中心にして始まった東京都町田市の玉川学園の松見ケ丘キリスト教会の開拓の頃、共に奉仕出来たことも感謝でした。「私は天からの声を聞いた。『今から後、主にあって死ぬ者は幸いである。』御霊も言われる。『しかり、彼らはその労苦から解き放されて休むことができる。彼らの行いは彼らについて行くからである。』」黙示録14章13節
    (※油井先生からのご依頼のもと、転記させて頂きました。KGK高木実)

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  4. 1976年から1980年までKGKでボーエンさん、フライシュマンさんにお世話になった水口功です。
     高木実さんと同様、私もお二人の息のあった奉仕のお姿を忘れることができません。
     当時KGKで「小訓練会」と呼ばれていた数週間続きの訓練会で学んだグループ聖書研究の持ち方は、学生時代はもとより、卒業後30年余りとなる信仰生活、伝道、牧会の礎となっております。現在開拓伝道13年目の教会での求道者との個人伝道では、よく「基礎の学び」を用いております。また聖書を読む会の理事をさせていただいておりますが、その中でもお二人の名を良く耳にし、とても懐かしい思いがしておりました。
     個人的な思い出ですが、大学4年のKGKの松原湖での夏期学校の帰り道、大学のゼミの先生の別荘を訪ねる用事で軽井沢に向うおり、ちょうど軽井沢に行かれるボーエンさんが、上手にきびきびと運転される自動車に同乗させていただき、ボーエンさんとフライシュマンさんの親しい交わりの輪に加えていただけことを今でも良く覚えております。同労者として歩んでこられたフライシュマンさんにおかれましては、お悲しみのほど、いかばかりかとお察し申し上げます。主からの豊かなお慰めがありますように。
    (南大沢チャペル牧師 水口先生より依頼があり、転記いたしました。聖書を読む会)

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  5. 竹内博子(旧姓宝子山)2013年10月13日 22:11

    娘が大学4年生で、ちょうど北陸地区KGK卒業合宿に参加していて高木主事よりボーエン先生が天に召されたことをお聞きし、母親の私に知らせてくれました。
    油井先生がおっしゃっておられる様に、その頃私は女子大生でKGKの友人を通してボーエン先生フライシュマン先生に導かれイエス様を救い主と信じました。
    松見が丘キリスト教会の婦人方との温かいお交わりの中で信仰が養われましたことは生涯忘れることはできません。

    「お母さんが導かれなければ、今の私もいないんだなぁと思うと、すごく感謝です。」と娘から言われ、改めて日本に宣教に来てくださった働きを感謝いたします。

    フライシュマン先生、コール先生その他残された周りのたくさんの方々にお慰めがありますよう心からお祈り申しあげます。
    言い尽くせない感謝と共に。

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  6.  ボーエンさんとの出会い 
     1970年8月、私は初めて山中湖湖畔でのKGK夏期学校に参加し、そこでお二人(フライッシュマンさんも)との出会いが与えられました。その集会の中でボーエンさんがした短いメッセージは今でも覚えています。車がエンストし、ボンネットを開けて調べてたところ、ほんの小さな部品の故障が見つかり、それを修理したら動いたというものでした。
     たまたまお二人は、私の下宿のすぐ近くに引っ越して来られたばかりでした。そこから親しい交わりを与えられずっと続きました。神様からの贈り物だと受け止めています。
     松見ヶ丘教会時代は同じ教会員(私は神学生)として、「教会の在り方(どのように信徒中心の教会を形成するか・・・)」について共に語り合い、時に議論したりしました。「教会」と「会堂」の言葉の使い分けをきちんとすべきこともお二人から教えられたように思います。
     2007年5月、私たち夫婦はお二人を訪問し、4日間を共に過ごすことができました。とても豊かな交わりの時でした。
     最近、もう1度、お二人を訪問できないかなーと思っていたところでしたが、残念でした。
    天国での再会の時に期待したいと思います。
     フライシュマンさんの上に主の慰めが豊かにありますように祈りつつ。
     
     

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  7. ボーエン先生を偲ぶ

    今から50年も前のことです。私が、まだ石巻女子高校一年生の時に、石巻保守聖書バテスト教会でボーエン先生とフライッシュマン先生にお会いしました。ちょうど、ラジオをとうしてイエスキリストの福音に出会い、クラスメイトをとうして女子高生になって間もなく石巻のサルコヤさんの迎えにある石巻商工会議所を会場に行われていた教会に通い始めました。
    高校1年の秋の文化祭の時にフライッシュマン先生が学校を訪問して下さったのです。千葉悦子さんというクラスメイトに誘われて、行ってみるとそこに浦島さんだとばかり勘違いしていたフライッシュマン先生が赤いリボンの白いドレスで立っておられました。初めてまじかに見るアメリカの方でした。そんな驚きの出会いがありました。当時の教会は、ボーエン先生と、フライッシュマン先生の2人の婦人宣教師が教会の先生で、岡本さんが2人の宣教師の方を支えておりました。石巻女子高の学生だった私は、通学定期を使っての教会通いが始まりました。毎週のようにあのサルコヤさんの街角に立ってトラクトを配ることも教わりました。またいつのことからか渡波の幼稚園を会場に日曜学校のお手伝いもさせて頂きました。公立高校でもクリスチャンの先輩の後を受けて、理科室での聖書研究会も継続させて頂きました♪        ボーエン先生と、フライッシュマン先生は、2人で協力しておぎあいながら素晴らしい宣教の働きをされていました。私も、日曜だけでなく、聖書の基礎の学びを毎週のように自宅に伺ってしていただきました。
    考えてみるとこの時の聖書の基礎の学びと毎週の暗証聖句が、今の私のクリスチャンライフの基礎になっているなーと感じています。ボーエン先生と、フライッシュマン先生は私たち学生には憧れでした。ボーエン先生と、フライッシュマン先生はともに私の主にある人生の恩人です。また母親たちです。2人の導きで、聖書の教える救い主キリストのことがわかりクリスチャンになり、洗礼を受けました。私がまだ16歳の時のことです。その後クリスチャンの主人と出会い結婚し今は孫3人も含めて9人の家族になりました。この主に在る家族の幸せもボーエン先生と、フライッシュマン先生の人生をかけての宣教のおかげです。数年前に、主人とお世話になった宣教師の方々を訪問する旅を決行した時にまだお元気だった2人を訪問したのが最後になりました。いつかはこの最後の時が来るのは想像できていましたが、寂しくなります。しかし感謝でいっぱいです。ボーエン先生ありがとうございました♪
    フライッシュマン先生寂しくなりますがお体お大事に長生きしてくださいね。
    私は3・11で女川町の最後の家族、母と妹そしてたくさんの郷里の人をなくしました。今なおさら人が誰でも必ず迎える死の後の備えの希望の福音を伝える必要性を身に染みて感じています。オリジナルトラクトと共に熱心に伝えています。ボーエン先生と、フライッシュマン先生2人の宣教の精神を模範にしながら私も主人と2人仕事とともに主の福音宣教にもさらに励みたいと願っています。
    ボーエン先生天国でまたお会いしましょう。天国でもあの宣教地・被災地東北にも復興とともに主の救いのリバイバルが起きるように祈っていて下さいね♫

    山梨県北杜市白州町の自宅にてボーエン先生を偲びつつ、 木下恵美子

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  8. 川中子芳子2013年10月15日 8:27

    川中子芳子(旧姓熊井)
    私がKGKの学生だった頃、ボーエンさんはKGK関東地区の主事として女子大生を教え、伝道していました。私は主事となり、ボーエンさんの「グループ聖研の訓練会」に出て学び、次にそのまま学生に教えました。
    IFESの主事エリー・ラオ師が夏期学校の講師として来られた時、ボーエンさん、フライシュマンさんのお宅に一緒に泊まり、忠実に走るという日本車「チューちゃん号」に乗って松原湖に向かいました。大先輩に囲まれた、とても楽しいドライブでした。
    どのような文脈で語られたかは、よく覚えていませんが、ある時フライシュマンさんが
    「私たちの夫となるはずだった人たちは、戦争で天国に行ってしまいました。」と言われました。私は、そうなんだ・・・と思いましたが、言葉が見つかりませんでした。お二人の顔には無念さはありませんでした。聖霊によって新しくされた人の姿に圧倒されました。
    「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。」マタイ5:9
                                              

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  9. 小池三枝子(旧姓宮本)2013年10月15日 12:30

     初めてボーエンさんフライシュマンさんにお会いしたのは、約40年前、松見ヶ丘キリスト教会でした。そして、キリスト者学生会、聖書を読む会で交わりを与えられたことを感謝しています。主を愛し、みことばに聴き従う歩みを見させていただきました。
     2011年秋に久しぶりに、お会いする機会が与えられました。お二人が日本に来られた時のこと、神さまが導いてこられた事をお聞きすることができました。病気のために痛みもあり、表情が硬くなっていたボーエンさんでしたが、顔色も表情も明るくなり、言葉も多くなり、日本に対する熱い思いと主にあって私たち(日本にいる)一人ひとりを愛する思いが伝わる時でした。そして改めて、「基礎の学び」について知ることができました。それは、ボーエンさんフライシュマンさんが、聖書を共に読んだ婦人の疑問、質問から「基礎の学び」ができたということです。
     「基礎の学び」のはじめに「神さまは、どのようなお方ですか?」とあるように、その時も、日本人を思い、天地万物を造られた方をお伝えするようにと励ましをいただきました。
     「またいらっしゃい」と言ってくださったボーエンさん、天で「いらっしゃい」と迎えてくださる事を思い、キリストの愛を感謝しつつ日々歩んでいきたいと思います。
     フライシュマンさん、お疲れが癒されますように、主の慰めと励ましを心より祈ります。

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  10. 私は今年の4月に松見ケ丘キリスト教会の牧師に就任いたしました。妻は松見ケ丘教会出身で、結婚前の名前は津久井裕子(つくいひろこ)です。妻はボーエン先生、フライシュマン先生とは言葉に尽くせないほどのお交わりの時が与えられ、深く愛していただきました。私は神学校の同級生として妻と出会い、神学校3年次の春に松見ケ丘教会で婚約式をさせていただきました。私はその頃に初めてボーエン先生、フライシュマン先生とお会いして、その後、何回かお交わりの機会が与えられました。
    私たち家族がカナダにおりました1999年には家族5人で、お二人の入居されていたオレゴン州の施設に車でおたずねしました。ボーエン先生、フライシュマン先生はコール先生と共に私たち家族をピクニックに連れて行ってくださいました。その日、ボーエン先生とフライシュマン先生は私たち家族のために一泊の宿も用意してくださっていて、恐縮しつつ感謝いたしました。
    昔、ボーエン先生、フライシュマン先生がお交わりを持たれた松見ケ丘教会の方々と私たち夫婦が今、同じ教会に属して交わりの時が与えられ、私には牧会の任がゆだねられていることに不思議な主のお導きを感じます。お二人が昔、松見ケ丘教会にあって主の前に献げてくださったお働きに主にあって感謝いたします。

    松見ケ丘教会では先日、ジャネット・キブラー姉(元、ジャン・ソーデルKGK主事)をお迎えして、ボーエン先生、フライシュマン先生の思い出をみなで語り合う時が与えられました。現在、フライシュマン先生へのカードをみなで書いているところです。フライシュマン先生のために続けてお祈りしています。
    26日の記念礼拝を通して主のご栄光が現され、列席される方々の上に主の平安がありますようにお祈りいたします。
    松見ケ丘キリスト教会牧師 中村 守

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  11. ボ―エン先生に感謝して
                                      内山智佐江(小川キリスト教会)

    ボーエン先生にはじめてお会いしたのは1970年代、まだ松見ヶ丘教会のない頃に、生田丘の上教会にフライシュマン先生といらした時でした。穏やかで理知的な御性格と静かなユーモアをもって「基礎の学び」のご指導をいただいたことは、とても印象的でした。その後、共立聖書学院でも「聖書を読む会」のご指導を受けました。そして、ぜひ、中学生達に「基礎の学び」をしたいとの相談にも親切にお教えいただきいくつかの教会で用いました。ボーエン先生は、フライシュマン先生と切り離しては考えられず、お二人の信仰の一致と主に在るすばらしい調和をもってのお働きから、いつも教えられ励まされました。

    一番の思い出は、ボーエン先生とフライシュマン先生がデプテーションで米国に帰国するとき、不思議に同じ飛行機で私も(オレゴンの中学生キャンプに参加して研修を)渡米することがわかり、ぜひデプテーションに一度同行して、送り出して下さっている教会で、先生方の日本での働きについて話して下さいとの依頼を受けて、カリフォルニアの教会にお共をさせていただいたことです。ボーエン先生が日本での宣教のために、母国の教会でどんなに祈られ支えられてこられたかを直接知らされ、感謝と尊敬の念を深く覚えさせられました。

    1995年から3年弱、夫の留学でボストンに行った時も、パークストリート教会での日本人集会では、「聖書を読む会」のテキストでずっと学んでおり、また、ボストンから引越しされた湯川さん夫妻から、当時シアトルでもぜひ「聖書を読む会」を自宅でなさりたいと相談があった時、すでにオレゴンに帰国していたボーエン先生、フライシュ先生が大変ご親切にリードして下さったと喜んでおられました。特にボーエン先生の「基礎の学び」のご指導に感謝しておられました。

    結婚して夫と共に開拓伝道からはじまり、今は28年目の三つ目の教会ですが、「聖書を読む会」のテキストをずっと用いさせていただき、全てのテキストを使って、多くの恵みを主からいただいておりますが、いつも励ましをいただきました

    5年前でしょうか、オレゴンの閑静なお住まいにお訪ねした時よきまじわりが与えられ、日本の教会のために、また「聖書を読む会」の働きのためにご一緒に祈らせていただきました。ボーエン先生のお声は、低く小さく感じましたが、おだやかな笑顔と筋の通った信仰者としてのお姿は忘れられません。フライシュマン先生を、主が慰め支え守って下さいますよう、夫と共にお祈りしています。

    「けれども、私たちの国籍は天にあります。
    そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。
    キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、
    ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。」 (ピリピ3:20-21

    感謝をこめて。

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